オホーツク文化の原点を学べる「モヨロ貝塚館」
日本に仏教が伝来した頃、オホーツク海沿岸部では「オホーツク文化」というものがあったそうです。
今から1,300年前、北の大陸から網走に渡来した民族は独特な文化を構成したそうです。集落ごとに住み、海の幸をふんだんに食べ、そして再生への祈りが強かった時代。アイヌ文化ができる前の出来事です。
そんな人類の原点的なものに触れられる「モヨロ博物館」の観覧は20分ほどで廻れます。
地下一階、地上2階の建物で、貝塚・住居・墓のテーマごとに展示されています。
まずは復元された貝塚の展示からスタートします。
この貝塚は大正2年、米村喜男衛氏によって発見されました。
発見したのは偶然だったそうですが、それ以降の発掘調査があったからこそ、これほどまでの遺跡が見つかったとのことです。
発掘品はかなり状態がよく、1,300年もの時が経っているとは思えないほどです。
そのせいもあってか、とても身近にも感じることができました。
復元されたものがきれいに展示されているのでちょっと怖かったりもします。(骨とかお墓とかね)
今と違って、昔の暮らしぶりは「生きていくため」のもの。
「死」というものと常に隣り合わせでいたため、それに対する知恵、畏敬の念というものを生活のなかに取り入れていってたんだと思います。
モヨロ人はアムール川流域あるいはサハリンから南下してきた海洋狩猟民ではないかと考えられている。が、彼らがどこから来た民族なのかは、未だ明快な結論は出ていない。
回転式離頭鋸に見られるような発達した漁具。海獣を象ったり波形や魚、漁の光景を施した独自の土器や骨角器。また住居内に熊の頭蓋骨を祀ったり、独特な死者の埋葬法など、精神文化の面でも独自性が強い。
オホーツク文化はやがて、擦文文化へと吸収され、アイヌ文化へも受け継がれていくことになる。歴史の時間尺で見れば、突然に現れ忽然と消えてしまったオホーツク文化とモヨロ人。
司馬遼太郎は『オホーツク街道』(街道を行く38・朝日新聞社刊)の中で述べている。「(前略)縄文文化ほど、日本固有の文化はない。この固有性と、オホーツク文化という外来性が入り交じっているところに、北海道、とくにオホーツク沿岸の魅力がある」と。引用元:オホーツク文化
そして、屋外では住居跡、墓域を見ることができます。
この時代の人々にはもう会うことはできないけれど、この時代の人々がいたからこそ、現代の文化や技術が出来上がっています。
厳しい時代を生き抜いてくれたことに感謝しかありません。
詳しい内容は公式サイトをご覧くださいね。↓
網走の新・ご当地鍋「モヨロ鍋 」
そして、網走市にはモヨロの人々の食生活に因んだ「モヨロ鍋」というものがあります。下記の条件を満たしたものが「モヨロ鍋」として認められています。
「網走モヨロ鍋」10ヶ条
其の一 名称は「網走モヨロ鍋」とする
其の二 鍋は、指定の鍋をつかう
其の三 オホーツクサーモン(カラフトマス)を使用すること
其の四 スープはオホーツク塩を使用した塩味をベースとする
其の五 白魚醤油を使用すること
其の六 すり身をいれること
其の七 地元の貝をいれること
其の八 地元の野菜を使うこと
其の九 共通ののぼり及び店内ポップを使用すること
其の十 謎のオホーツク人をイメージさせるようなテーマとすること
(各店とも鍋の具材は旬の素材を使用するため季節により異なります。)
網走市にある鶴雅のお宿「北天の丘あばしり湖鶴雅リゾート」の夕食バイキングでもご提供しています。
お好きな具材をお好きなだけ選んでお召し上がりいただけます。
北方民族が食べた海の幸。
存分に召し上がってくださいね^^